日立三田勝茂氏(1924年~2007年)を偲ぶ
日立製作所元会長・日立ファウンデーション創設者
「日立ファウンデーションは日立が米国や世界のその他の地域で企業市民としての責任を果すために何をしなければならないかを知る手助けをしてくれるでしょう。私たちはまた、日立ファウンデーションの活動が、米国の人々の日本に対する理解を深めてくれればと願ったのです。」 - 三田勝茂 -
三田勝茂氏が日立製作所社長に在任されていた時期は、日米関係が戦後、最も揺れ動いた10年に重なります。マイク・マンスフィールド駐日大使が「世界において最も重要で他に類を見ない2国間関係」の重要性を認識するよう訴えていたちょうどそのとき、日米両国は経済的・技術的優位を得ようと激しく対立していました。2つの異なる文化の間に横たわる恐れと理解不足が対立に拍車をかけ、日米関係が修復不可能な状態に陥る懸念がありました。
(1990年に東京で開かれた日立ファウンデーションの理事会でファウンデーション創設理事長エリオット・リチャードソン氏と歓談する三田氏)
1981年に三田勝茂氏が日立の社長に就任したとき、彼は企業が、深まる日米間の溝の橋渡しを率先してしなければならないと直感していました。三田勝茂氏の掲げるビジョンと日立の開拓者精神によって形作られる企業外交と、グローバル企業市民という新たな領域の時代はこうして始まったのです。
三田氏が社長に在任中、日立は日米間の緊張緩和と関係修復をはかり、ひいては北米における日立の事業拡大につなげるための大胆な戦略を実施しました。三田氏は、優れたグローバル企業は、事業展開する地域社会にしっかりと根を下ろさなければならないと考えました。米国で事業展開するためには、日立は米国を理解し、その一員とならなければなりません。日本で製品を製造して輸出するだけでは不十分なのです。日立の製品は米国人の手によって作られるべきなのです。そこで、日立は北米に工場を建設し、米国人幹部を採用しました。米国人が株主であるべきです。そこで、日立はニューヨーク市場に上場しました。日立の従業員と役員は米国社会の構成員であるべきです。そこで、米国の地域社会におけるさまざまな活動への誠実で有意義な企業参加を促し、米国の人々が企業に何を期待しているかを日立の経営陣が理解する助けとなり、米国の人々の日本文化に対する理解を深めることを使命として、1985年に日立ファウンデーションが創設されました。
高名なエリオット・L・リチャードソン氏が理事長を務め、卓越した米国人からなる理事会とスタッフによって運営される当財団は、日立が米国社会の一員となるために役立つだけでなく、社会の強化にも寄与するだろうと考えられました。.
20世紀が終わりに近づくにつれ、日米関係は安定化し1980年代から1990年代初頭にかけて猛威を振るった緊張関係は、もはや過去のものとなりました。それまでもそうしてきたように、来るべき新たな世紀における課題を見据えていました。日立ファウンデーションの理事会に向けた1999年のメッセージの中で、三田氏は次のように述べています。
「21世紀が近づく今日、私たちは大きな政治的、経済的、社会的変革の時代に突入しようとしています。新たな世紀を迎えるにあたり、私たちは断固たる決意をもって改革を成し遂げなければなりません。現在、日米関係は両国の人々の努力のおかげで素晴らしい状況にあります。私は、日立ファウンデーションが日本と米国の架け橋であり続けることを願ってやみません。」
三田氏のその生涯で成し遂げた功績は、グローバル企業市民のあり方として最良のかたちを示しています。彼が掲げたビジョンは、日立ファウンデーションの運営に影響を与え、その指針となっています。彼は、企業のトップとして、国際社会を強化する上で企業が重要な役割を果たさなければならないということをひときわ理解していました。相互理解に基づく誠実な関係の構築に関する記述は、どの経営の教科書を開いても見当たりません。しかし、それこそが三田氏の指導力の源泉でした。

